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志學館学園 創設者『満田ユイ先生』墓碑案内看板が建ちました。

2013年08月02日 お知らせ

 満田ユイ先生の墓碑が、志學館大学心理棟に隣接した場所にあります。

 100年を超える歴史ある学園の卒業生や関係者はもとより、地域や広く県民の皆様にも満田ユイ先生の足跡に触れていただけるように、墓碑前に案内看板を設置いたしました。

 満田ユイ先生は、明治17年1月16日、照国神社の禰宜・満田八束とヤナの7番目の子として鹿児島市に生まれました。「百姓と女に教育はいらぬ」といわれた時代にもかかわらず、理解ある両親は家屋敷を売り払ってまで学資をつくります。そして、鹿児島女子徒弟興業学校を卒業後上京し、東京裁縫女子校(現東京家政大学)に進みます。
 母校で教師生活を送りますが、父親の期待を受け止め郷里に戻り、学校創設の想いを奮い立たせ、明治40年に「実際に役立つ婦人の育成」をめざして23歳の若さで鹿児島女子手芸伝習所を創設しました。これが現在、志學館大学、鹿児島女子短期大学、志學館高等部、志學館中等部、鹿児島女子短期大学附属かもめ幼稚園、同なでしこ幼稚園、同すみれ幼稚園の7つの設置校となでしこ保育園を付設する志學館学園の始まりです。

 満田ユイ先生は、昭和7年に没するまで、教育への情熱と行動力、人を惹きつける天性の吸引力で時代を駆け抜け、人間の生き方を真剣に考えた人と評されました。

 郷土の先駆者として時代を切り拓いた満田ユイ先生のことを多くの皆様に知っていただき、鹿児島の教育や歴史に関心を持っていただければと思っております。

 なお、鹿児島県歴史資料センター黎明館には写真や遺品が常設展示されています(平成25年8月現在)。

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